原爆忌に思う

2007年8月9日
今年もこの日がやってきた。

原爆投下は正しかったのか、間違っていたのか。
論ぜられ、結論は出なくなって久しい。
そりゃそうだ。
論ずるべきは正誤ではない。善悪なのだから。
それを正誤で論ずるからいつまでたっても結論はでないのだ。
善悪で論ずれば、結論は明白だと思うのは私だけか。
原爆を投下したがために、終戦が早まったのだという。
そうでなければ日本は徹底抗戦し、無駄な死者がたくさん出たのだというアメリカの言葉は正しい。
だが日本が主張しているのは、原爆を投下したことは善かったことなのかということだ。
放射能により遺伝子が傷つき、罪もない子々孫々にまでいつ発現するかわからない遺伝子の異常を背負わせる。
それは許されることなのか。
連合国占領軍は終戦後早速のデータ収集にいそしんだ。
膨大なデータは時間の経過とともに小出しにされた。
それだけアメリカは原爆の恐ろしさを認識していたのだ。
だから、声高に原爆投下の正当性を主張するのだと思うのは私だけか。

この日がくるたびに、私も同じことを主張している。
原爆投下は正誤ではなく善悪で論ぜられるべきだと。

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