四月末に発売になったものの、購入に迷っていた。
内容が私の好みとずれていたものだから。
同時期に発売されたセルフカヴァーも。

しかし。
絶盤になる前には購入しておかなければなるまいと諦めた。(非常に失礼ですな)
絶盤になってから必死こいて探しまわった苦労は、もうしたくなかったから。

曲についてはまだ聞きこなせていない状態だから、何とも言えず。

ただ、篠原さんの“ひと”に対する想いはいつも真摯だと思う。

技術としては曲と声のバランスが気になる。
前の<種と果実>でも感じたことだったのだが。
私だけの感じ方かもしれないが、声が曲の一部となっている感じ。
微妙なバランスだけれども、もうちょっと“声”が聞こえるほうが、私はいい。
あくまでも主役は“声”だと思う、私の感じ方からすればね。
まあ、これから聞きこなしていけば、気にならなくなるのかもしれない。

篠原美也子 CD ポプラト 2005/04/27 ¥3,150
only you/白い月/尽きせぬ思い/アスピリン/HOPE/ゆらゆら/その時/
loop of smile/Journey/最後のドアを閉めて/まだ見ぬ明日の為に
八ヶ月以上も何も書いていなかったのは書く気がないのではなく、書けなかったのです。
仕事以外どうでもよくなって、(だってメシの種ですから)惰性で生きていました。

久々に書く気が起きたのは、ある新聞記事のせいです。

『ハウステンボス希望退職者を募る』
いや、見出しだけいきつけの蕎麦屋で見ただけですけれど。
それを見た私の心境はタイトルのごとし。

ハウステンボスが再生に必死なのは知っているのですが、ここで退職者を募ってどうするんだろう。
希望退職する人って、他所から声がかかっているのにハウステンボスが好きで残留していたのが、とうとう決心した、とか。見切りをつけた、とか。
要するに他の所で使い物になる人材ってことですよ。
そうやって優秀な人材が流出していったのを風の噂で(かなり信用できる)知っている私。
ここで希望退職なんぞ募ったら、残留する人はほんまもんのハウステンボス馬鹿か、他に行き場所がないからやめる訳にはいかないという人。その中には給料もらえりゃそれでいい的な人もいるかもしれない。

これを見たハウステンボス関係者は怒るかもしれないが。

質低下はまぬがれないだろうなあ。

ハウステンボス好きなんだけどな。それはハウステンボスで働いている人込みの話なんですよ。
働いている人の質が低下したハウステンボスにはあまり行きたくないような気がする。
願わくば、残留している人たちのほとんどがハウステンボス馬鹿でありますように。
調子のいい話なんだけど。
大体の人は防災の日と答えるだろう。
関東大震災の起こった日である。
そこらへんは私もうろ覚えながら知っている。
だが、関東大震災が引き起こした事件を知っている人は少ないのではないか。
今夜のニュースを見ていて思い知った。
一緒にそれを見ていた母も妹も知らなかったのだ。

私がそれを知っているのは昔読んだ小説に記述があったからだ。
その本を読まなければ未だ知らなかっただろう。

震災後の混乱の中、流言飛語により多数の在日朝鮮人が日本人に虐殺された事実を。

つくづく思う。
それでいいのか。
日本の歴史を知らずに生きていてそれでいいのか。
古代も大事だろうが、近代、現代はもっと大事だろう。
特に近代、現代において日本が周辺諸国とどう関係していたかというのは、アジアの一国である日本という位置でこれからの世界経済に関係していかなければならない日本国民としては知っていてしかるべき知識ではないだろうか。
それに付随する感情はともかくとしてだ。

加害の歴史は曖昧になり、正当化され、処理済みの過去のこととなる。
ひっくり返してみれば、そんなことできるわけなかろうが。

戦争に置ける最初の原爆投下で、今に至る反核運動を続けている日本。
それは正しいことだと思う。批判する気もない。
被爆して、己だけでなく子々孫々にまで被爆による様々な体調異常を背負わせなければならなくなった人々の悲しみと怒りは当然のことだと思うし、私個人も投下の是非はともかく、核兵器および準ずる兵器全般の廃絶を願ってやまない。
だが、原爆投下を正当化するアメリカ合衆国の反応は、近代においてアジア諸国へ犯した罪を正当化する日本と似てはいないか。

震災後、流言飛語に惑わされ在日朝鮮人を虐殺したのは、日常であれば近所付き合いを大事にし勤勉に働き子供をかわいがったであろう、普通の人々だったという。
どんな情報操作があったのかはわからない。
だが無知であったが為に避けられた犯罪に手を染めて、それを正しいことだと信じてしまった愚かしい私たちのご先祖を責めることは簡単だけれど。

愚行を繰り返さないためにも認識するべきではないだろうか。
正誤ではなく、事実と、真実を。

・・・熱く語ってしまった。

ネットで遊ぶ

2004年6月29日
Amazon.co.jpで、本の検索をかけて遊ぶ。
好きな作家さんの著作リストを見ながら、在庫切れの本が蔵書にあると、つい頬が緩んでしまう。
オタッキーですなあ。
そんでもって、手に入れようと躍起になっている本が、どこを見ても在庫切れだと、へこむんである。
「あああ、なんで書店で見たときに買わなかったんだろう!」
表紙が気に入ってて、作者名も、題名も、もちろん出版社さえわからない文庫本を今だ探していたりするのだ。内容すらおぼえていないくせに。
これを、砂の中の粟を探すと言う。(言わないって。)
昨今の出版業界の流れを見ると、目についた時に、借金してでも買っとけというような感じがある。
さっさと出版してさっさと絶版にする。迷う暇なんぞないのだ。
まあ、私の趣味がマイナーだということもあろうが。
相棒がパソ屋に行ったときのこと。
店長が相棒に尋ねました。
「桐生さんの調子どうですか?」
「最悪だそうです。」
「え?!」
「パソは絶好調なんですけどね。」
「ああ。」(安堵のうなずき)
「豹が慣れてくれないって泣いてます。」
「それはサポートできかねます(笑い)。」
一部脚色。

てなわけで、パソに使われてます。
まだ使ってない機能が山ほど。
使いこなす頃にはG5がノートブックになってたりして。
相棒が「だから私の初号機と交換すれば?」と笑う。
今のところ使っている機能
Mail
Safari

あとはクラッシック機能だけ。

どうするよ。
六月初めのことでした。
それまでも調子が悪かったのですが、とうとう無反応に。
相棒は「とうとう来たか、よく保ったねえ。」と言う。
中古だったけど、一年半のローン払い終えたばっかりだったのにー。
嘆く私に相棒は冷たかった。
「ローン払い終えるまで尋常に動いたんだから可愛い奴じゃないか。これにこりたら本当にラップトップでパソ扱うのやめなさい。」
相棒に言わせると、壊れて当然の扱い方しといて何言うとんじゃということらしい。

でもって相棒の行きつけのパソ屋に行き新しいものを購入。
行くときはね、「おいらの能力じゃ廉価版で充分すぎるわなあ」と思ってたんですよ。展示処理品でそこそこ安価なのがあるって聞いてたし。
パソ屋でリンゴ社のパソを見ているうちに、我慢ができなくて買ってしまいました。
アルミニウム筐体のメタリック色。(メタリック色は本当だが筐体の方は勘。カタログとか取り扱い説明書とか読んでないし。)12インチ。(わかる人だけわかってください)
なんせ相棒が持っているのの二世代後の奴。(OSなどのマイナーチェンジらしい)
前の奴でさえ、使われてたのに。
今度の奴には更に使われてしまいそう。

宝の持ち腐れ確実。
ISBN:475771887X コミック 森 薫 エンターブレイン 2004/05/26 ¥651

何の気なしに入った本屋で速攻で買ったもの。

森薫の「エマ」4巻。最新作。

19世紀ビクトリア朝のイギリスを舞台に、財産家だが爵位を持たないジョーンズ家の長男ウイリアムと、ウイリアムの家庭教師だったケリーの家で働いていたメイドのエマの恋物語。

身分違いの恋で、一度は身を退くエマと、諦めて上流社会でジェントリとして生きていこうとするウイリアム。
しかし運命は二人を再会させるのだ、よりにもよってウイリアムの婚約披露パーティで。

文字にすると陳腐なロマンスのような。
でも、読むとどきどきはらはらする。

待ってたんだよお。
本誌買わないから、全く先が読めない。

もともとは絵柄が気に入って購入したのだ。
シンプルな線がうっとりする。
話にはまったのは後。

ビクトリア朝イギリスの物語を描いたもので有名なマンガは坂田靖子さんの「バジル氏の優雅な生活」だと思う。
私の場合、絵柄と話がセットになっているから「バジル氏……」以降、ビクトリア朝イギリスの物語に巡り合えなかった。

楽しみなマンガの一つである。

メイドさん好きな人、ちょっと覗いてみると良いですよ。
メイドの仕事ってすんげえ重労働なんだった。

既刊「エマ(1)〜(3)」
  「シャーリー」(これもメイドもの)
  村上リコさんとの共著で「エマ ビクトリアンガイド」

いかれた。

2004年5月26日
おつむは元々その気があったからほっといて。
左半身が多少。
特にひどいのは左手。
首を動かすと痺れが走りまする。
整体の先生の言によれば、2月にトラックから落ちたときの後遺症だそうな。
背骨の矯正をしてもらってるのだが、すぐに戻る。
困ったものだ。
昔、ヘルニアになりかけていたのを治してもらったのになあ。
元の木阿弥だ。
あの時は無料だったが、今回は有料。
早よ治さなとは思うのだが、変に頑固な身体。

そういや5月は今日が初めての日記。
今まで何やってたんだろ。
謎。

見逃したああ!

2004年4月25日
日曜日、忘れていなければ必ず見るテレビ番組がある。

「題名のない音楽会21」

羽田健太郎氏が総合司会で、色んな音楽をオーケストラで演奏する。
クラシックあり、ポップス、ジャズ、映画音楽なんでもござれ。
好きなんだけど、忘れる。
忘れて、見そこねる時に限って、私にとって、いわゆる「萌え」な音楽を演奏する。
今日4月24日は吉田兄弟と名前を忘れたがタップダンスもするチームの人の。北野武の「座頭市」でラストのタップダンスシーンを担当したアーティスト達だと思う。
その音楽を演奏したのしか見なかったのだ。
口惜しかった。
秀逸だっただけに、余計に。

いや、津軽三味線は吉田兄弟よりも上妻宏光が好きなんだけど。
高橋竹山の聴いたら、鳥肌立つくらい、おっそろしいけど。

閑話休題。

何とかして記録できんものかのう。相棒に頼んでみるかのう。
DVD-RAMを購入してさ。
いやいや、本当に面白いのですよ。私だけかも知らんが。
オーケストラで聴く「地上の星」とか、よかったなあ。
来週はQUEENだそうな。
オーケストラで聴くQUEEN!良かろうなあ。
でも、これを録画予定に入れると、日曜日は私の好きな番組だけで3つも予約してることに。
相棒は了承してくれるだろうか。
帰宅したら、予約していたCDが届いていた。

篠原美也子さんの、セルフカヴァー・アルバム第二弾。

「everything is passing」

篠原美也子と言っても、知らない人の方が多いかと思う。
現在はライヴ中心に活動なさっている方らしい。
「東京百歌」というイヴェントに出演なさっているらしい。
らしい、というのは、この人のことはCDが出たら買うくらいで、ライヴに行ったことすらないからだ。

歌以外は全く知らない。

この人との出会いは、当時楽器店に勤めていた友人からの勧めだった。
「平成の中島みゆき」といわれている新人。
私は、気の毒に、としか思わなかったのを覚えている。
いくらビッグネームを利用して売り出したいからと言って、中島みゆきはないだろう、と思ったからだ。
誰でもない、中島みゆきという世界を構築している人の名前を使うことは危険じゃないのだろうか。
下手をすれば落差で潰れるのじゃないか、とすら思った。
中島みゆきが好きだったこともあり、「篠原美也子」のアルバムを購入した。
何が中島みゆきと並び称されるところなのかと、確かめたかったのもあったのかもしれない。
それが篠原美也子のセカンドアルバム「満たされた月」だった。

「誰でもない、篠原美也子」を聴いた。

中島みゆきと並び称されるところなどどこにもなく、篠原美也子は「私は篠原美也子だ。」と叫んでいたように思う。

「I’m noboddy 」と。

それから、この人は私の中で微妙な距離をとりつつも忘れられることもなく、この人の曲は文章書きの大事なBGMになった。
まあ、金がなくて購入を逃すうちに廃盤になってたりして、非常に口惜しかったりしたけれど。

今回のCDは今まで出した曲の中から、ピアノだけで再構築した曲をアルバムにしたものの二枚目だ。
実を言うと、好きな曲が入っていたから予約までして購入したのだが、それは私にとっては可もなく不可もなくという結果になり、(初出の方と甲乙付けがたいが、好みだけで言えば、初出の方が私は好きである)初出の時は気にならなかった(好きではあったけれども)曲の方が耳に残った。
3曲目の「情熱」。
ピアノと声が凄く絡み合って、涙が出た。

このセルフカヴァーが出る前に新しいアルバムも出ていて、それも購入して聴いたのだけれど、個人的にはピアノだけの曲がいいな、と思った。今回のように。
新しいアルバム「種と果実」は、がっつりと取り組まないと聴くことができないから、ちょっと疲れる。うるさくて。
私にとってこの人の曲は最初はいつもそうなのだけれど。
付き合いだすまで時間がかかるのだ。

ファーストアルバムを除けばアルバムは全て持っているが、新しい程、音がうるさい気がするのはどうしてだろう。
声と音のバランスが私の好みではないのかもしれない。
ピアノという楽器に、私が特別な思い入れを持っているせいなのかもしれない。

近くに話す人もいないので、綴ってみた。



篠原美也子 CD ポプラト 2004/04/21 ¥3,150
Keepng my step
風のかたち
情熱
Don’t forget
Time is ripe
passing
河を渡る背中
ありふれたグレイ
Fool in the Rain
Good Friend

感謝

2004年4月19日
知人の話。
私も知っている人なのだが、知人の取引先の人が怪我をしたそうだ。
左の手首を粉砕骨折。即入院。
日曜日に自宅の倉庫の上段に何かをしまっていたときに、梯子から落ちたのだと言う。
その人のことを仮にAさんとする。
Aさんの会社は本来日曜出社なのを、Aさんの親が「日曜日は休日なのに。」と横やりを入れて、Aさんだけが日曜休みにしてもらった最初の日曜日のことだった。
聞けばAさんの親は、勤め先から車で10分くらいの所に住んでいたAさんと家族を実家に引っ越させて、Aさんは自動車で二時間近くかかる道のりを往復する毎日だったらしい。
他にも色々聞いたのだが、私はAさんをとても気の毒に思った。
Aさんはもう40歳なのだ。不惑の歳なのだ。
それが、何でここまで親に干渉されなきゃいけないのだ。
親にとって、子供は幾つになっても子供なのはわかる。
けれど子供は社会人として立派に生活しているのに。
親の都合に子供を巻き込んでそれが当然とするのは如何なものか。

そこで本題。

私の両親もAさんの親タイプだったのだ。
子供のために良かれと思っての言動が、子供を縛りつけるという悪循環。
子供である私も親が自分の為を思っての言動なのだからと何の疑問も持たない子供だった。
今の会社に就職して自然にそれを躱すようになり、親も諦めたのか、何も言わなくなった。

現在、娘は極道の限りをつくしている。

だからたまには現状を受け入れてくれている両親に感謝を。

お父さん、お母さん、ありがとうございます!

いやー、うちの両親、ましな方だった。

洗った

2004年4月16日
携帯電話を。

これで二個目なんだな。
一個目は会社の携帯電話だった。

ズボンのポケットに突っ込んだまま、洗濯機に放り込んでた。
重みでわかりそうなもんだろうと思うが、あにはからんや、私の携帯は軽量化されたやつだったんだよ。
とりあえず、近くのショップにいって機種変更してもらった。
データは全滅。
バッテリーを外そうとしても、フタがずらせない。
自然乾燥させたら、もしかしたらサルベージできるかも、とのこと。

日曜日のことだった。

翌日、駄目でもともと、と充電したら液晶画面以外のところの電気はつく。
帰宅途中でショップに立ち寄り、データのサルベージをしたい旨を相談。
電源入れたら、液晶画面が復活していた。
それを操作しながらオペレータは首をかしげる。
やっぱり無理なのか。

「データ移植できました。63件のうち62件まで移植できてます。」
彼が首をかしげていたのは、残りの1件がどれなのかわからなかったからなのだ。
その1件はいまだ見つからない。

今回のようなケースで気をつけることは、あくまでも自然乾燥すること。ドライヤーなどは絶対に駄目だそう。

それより、洗うのをやめればこんな苦労しなくて済むのに。
ああ、莫迦みたい。

既に四月

2004年4月2日
先月はろくに書かなかった。
今月はどうだろう。

なんか、感覚が鈍ってる気がする。
感情がフラットのままのような気もするし。
やばい。
気をつけよう。
上記の症状が出てくると、書けなくなるのです。
感情が動かないから、感覚もわからなくなって、無表情になります。
そうならないためには、無理矢理にでも感情が動くようにすること。
一番効くのは感謝の感情。

閑話休題

桜が咲いていますね。
散りつつ咲く花。
花吹雪。
夜に舞う花びら。
好きだなあ。
この季節をモチーフにして、何か書きたいものだ。
薄昏い話がいいなあ。

LEICE様
遅くなりましたがリンクありがとうございます。
貴方の日記を読むと色々考えさせられます。
これからもよろしくお願いします。

難しい

2004年3月11日
ある人が自分の持論を論破され、それを受け入れたことについて私はちょっと腑に落ちない気がして友人に言ったら、何故素直に喜べないのか、その人の視界が広がったのではないかと言われた。

私はその人が受け入れたことに対しては可でも不可でもないつもりだった。
それを受け入れるのに、プライベートではともかく、ビジネスでは如何なものかと言ったつもりだったのだ。
まあ、確かに最初はその人は正しいことをしているのにと言った。それなのにどうして論破されて感動しているのかとも言った。
だけど、その後上記のようにプライベートではともかくビジネスでは受け入れてはまずいのではないかと言った……と思う。

記憶がそこまではっきりしていないので無責任に言い放ったのだろう。
友人には悪いことをした。
どうやら同意を求めていたのらしい。

言葉はつくづく難しい。
いやさ、難しいのは言葉を発生する心。
心は中庸であらねばならないというのに。
偏狭で矯激であるが故に、人様までかき乱してしまう。

困ったものだ。

だけど毒が毒で何が悪いという部分があるのは確かだ。

不愉快だった。

2004年3月9日
私は自動車通勤です。前にも書きましたが。
自動車通勤で気をつけなければならないのは、自分だけの世界に浸って周囲に対する配慮を忘れてしまうこと。

電車やバスの中で音楽を聞くと音漏れしてしまい、周囲の人が不愉快になることがありますね。
これは公共のマナーとして何度も注意を喚起されてきました。
それを自動車でやったお方が。
もちろん見ず知らず。

もちろん、そういう人がいるのはわかってます。
自動車内で音楽を聞くのに、雑音が気になるのか、音量を大きくして聞いているドライバーさん。
多少の音漏れなら、しょうがないな、ですますのですが。
(だって自分もやってる可能性がありますからね。)

窓を開けて大音量で音楽を聞くな!

こういうのに限ってパーカッションやベースの強い曲を聞いている。
その振動がこっちにまで響いてきて、うざったいんだよ。
で、なんで窓を開けているかと言うと、状況から判断したので、事実かどうかはわからないのですが。

煙草を吸うため

本当に本当だったら、たまらんわ。

それが5分程度で別れたから何とか我慢できたものの、延々隣を走っていたらぶち切れたかもしれん。

よく事故を起こさなかったよな、と自画自賛するほど、不愉快だった。

せめて窓は閉めてくれよ。大音量で聞いてていいからさ。
窓閉めて走ってる、しかも聞いている音楽が聞こえづらくなるくらいの音量はマナー違反だと思うが如何なものか。

本の感想?

2004年2月19日 読書
まさに週記と化している。おそろしや。

で、前の週記で書いていた本の感想。レビューなんてしゃれたもんじゃないことに気付く。
花田一三六(いさむ)の新作。
昨年の9月から奇数月に出版された、全三巻。
涙が出るほど嬉しかった。
角川からデビューしたものの、消息不明になってたんだよお。
中央公論新社から出版されてたよ、と友人に教えてもらった時は踊ってしまいました。嬉しくて。
文体が好きなんですよ、この人の。
久しぶりに堪能しました。満足。
このまま、ぼちぼち書いてくれないかな。
特に、大陸史とかダリウスの話とか。レイジング・ブレードだっていいから。
でも、今度の話の続編も捨てがたいなあ。
とか言いつつ、ファンレターなんぞは一遍も書いたことがない。
ファン失格?

それにしても、私が好きな作家さんは寡作家が多い。何故だろう。
(勤勉な方もいらっしゃいますがね、ちゃんと。

日々は過ぎ。

2004年2月12日
日記ではなく週記になっているような。
書きたいことはあれど、これに書いていいのかどうか。
迷っているうちに日々は過ぎ、取り返しつかず。

怪我は快方に向かっているようです。
瘤はまだ痛いですが。ぶわぶわしてるし。
この分だと痛みだけが長引くような気がするのです。
でもって、薬を飲み忘れて、一日二回服用が一日一回服用となりつつあり。
湿布薬に至っては、他の部分の痛みの軽減に塗られていたりする。
いかんなあ、のど元過ぎればなんとやらの、見本。

本は結局ネット購入いたしました。
その方が早かったし。
買ったはいいが、唸ってしまった本もあり。
勉強したい人への入門書みたいな奴だった。
どちらかといえば、描くのに見本が入り用だったのだが。
こういうときは、書店で確認してから購入するほうがいいかも。
こんな本置いてる書店なんて東京の紀伊国屋くらいだろうがね。
やっぱり通販は賭けですな。

今度は本の感想など書いてみよう。
レビュー選択などがあるのだから、責められることはなかろう。
ひどく偏っていることは先に明記しておこう。

落ちた

2004年2月5日
受験生の皆さまごめんなさい。
これ以上ぴったりの題名を思いつきませんでした。

落ちたというのは。
11トントラックの助手席から降りようとして。
見事なまでに落ちました。

地面に背中がこんにちわ。ついでに後頭部もこんにちわ。

落ちたときのことを実はおぼえておりません。
脳震盪を起こしていたと思しき。
後頭部の激痛で意識を取り戻し、起き上がることができずに、私よりも痩せた上司に肩を貸してもらい、上司の足を踏みつつ、事務所にたどり着いたのです。

いやあ、見事なまでの記憶の欠落。
落ちる前の一番新しい記憶は、降りようとして手がかりを確認したところまで。
落ちた直後の記憶は痛みとぐらぐらする視界と、思い通りに動かない身体。

何故落ちたのか、謎。

後から、相棒に話したときに奴が言ったセリフときたら。
「ひっぱられたのかもよ〜」
って、誰にやねん!
そんな縁起の悪い話すなや。新車の11トントラックやねんで。
(何故に関西弁もどき)

閑話休題

事務所に戻ったら、病院に行けとの命令。ま、当たり前だわな。
タクシーの運転手さんに症状を言って適任の病院を尋ねると、私の住んでいる町の隣町の脳外科。どこに行っても結局そこに回されるから、まっすぐ行ったほうが面倒がなくていいとのこと。
会社からは車で25分の距離。
頭は痛いわ、吐き気はしてくるわで、もしかしたら大事になるんだろうかとさすがに不安になる。

結果。

「脳内出血もありませんし、頭がい骨に異常もありません。頚椎がずれてるってこともないですね。まあ、仮のムチ打ちの症状や不快感はあるでしょうが、一時的なものです。瘤はかなり大きいですが、これも徐々に治まりますからよく冷やしてください。
頭痛が治まらないとか異常がありましたらもう一度来てください。再検査しましょう。飲み薬と湿布薬処方しときます。」
検査結果を見ながら懇切丁寧にドクターが説明してくださいました。

なんか、『大山鳴動してネズミ一匹』みたいと不謹慎にも思ったりした。

ああ、それにしても。
大事にならずによかった。

ちなみに宿敵に話したら、「脳細胞破壊されて、ますますパーに磨きがかかるんちゃう?」と言われた。
「なにおう、今まで眠っていた脳細胞が活性化されるとは思わんのか」
「思うか。なははは。」

今、身体がきしんでおります。
落ちたときのショックが、今ごろ現れてきております。
首、痛てえし。ひどく寝違えたみたいな感じ。
湿布薬塗ろう。

本がない

2004年2月2日
欲しい本があった。
発売日を過ぎていたから本屋に行った。
ない。
他の店に行く。
ない。
前にもやったことあるよな。

ネットで調べると確かに出版されている。

日曜日、S市に行った。
目ぼしい本屋にアタック。
ない。

私が欲しい本はそんなにマイナーなのだろうか。

やっぱりネット購入しかないのか。
でも留守中に届くと、隣家に預けていくんだよ。
そのたびに肩身の狭い思いをするのだ。

雪だ雪!

2004年1月21日
暫く日記を書かずにいたのはネタがなかったから。
もしくはこっちに書くネタではなかったから。

雪ですね。
吹雪の中を車で走って帰宅しましたさ。
ガソリンが欲しいと車が要求したのでガソリンスタンドで給油して。
で、帰宅したらば灯油缶が空。
しかも、風呂はぬるい。ボイラーはレッドアラート。
慌てて行ってきたばかりのガソリンスタンドに走りましたとも。
(だってプリペイドカードで購入すると少しだけ安くなるんだもん)

それにしても、私以外で灯油の心配をするのはおらんのか、うちの家族では。
灯油なしでは凍死確実なのに。
私の部屋ではファンヒーターが稼働していないと、雪が降ろうが降るまいが、指がしばれて動かなくなるので、灯油には気をかけるのです。
猫も行火の代わりにはならず、とてつもなく寒くなるもんで。

雪はひどくなってまいりました。
宿敵を迎えにいったら、
「トンネルを抜けると雪景色だった。驚き。」
と、のたもうた。
そうか、この吹雪もまだ局部的だったのだ。
明日は積もるかな、個人的には積もると嬉しいんだが、積もるとタイヤチェーンを装着するのが面倒くさい。
でも、事故やトラブルは嫌なので、結局。
積もりませんように、凍りませんように、と祈りながら眠りにつくのでした。

相棒が整体のセンセイに言われたこと。
「午後10時から午前2時の間に体細胞は新陳代謝するんですよ、ちゃんとその時間に眠りましょう。その後に起きればいいんですから。」
その時間、私はきっちり眠ってます。
午後10時近くなると、タイマーが切れたように睡魔が襲ってくるのです。
次に目が覚めるのは、早くて午前2時半。遅いときは午前5時。
健康的な生活。
の割に不健康なことになるのはどうしてだろう。

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